ミライリポート ~SDGs企業に学ぶ~

株式会社日映志賀 社長室 室長 中村 信滋 氏

「ごみ」と「めぐみ」のものがたり

 江戸時代、我が国の都市は世界に類のないほど衛生的であったと言われている。もちろん、はじめからそうだったわけではない。環境省発行の報告書によれば、原始・縄文時代から平安時代にかけては、し尿は垂れ流しか、居住地周辺に投棄されていた。鎌倉時代以降、本格的な都市が成立するにともない、都市の食料を確保するための近郊農業が発展する一方、都市のし尿を肥料として農業に利用する資源循環のシステムが形成され、それが江戸時代にはかなり高度な水準にまで達したものである。(環境省他、2020)

 ところが明治以降、急激な人口増加や、工業化に伴う農村から都市への人口流入と農業労働力の減少、郊外農地の減少による需給バランスの崩れ、そして化学肥料の普及などによって、資源循環の仕組みは次第に行き詰まる。とりわけ第2次世界大戦後には都市部においてし尿があふれる事態になり、無秩序な投棄が横行、環境汚染、伝染病や寄生虫による健康被害の発生を招いた。これを機に、し尿処理のための法制度や施設の整備、処理方法や収集運搬技術の開発が急速に進められた結果、我が国独自の集約処理システムが構築されることになったのだという。(同上)

 このいきさつを、し尿や生ごみに対する人びとの「まなざし」という点からみると、それは「廃棄物」から「資源」へ、そしてまた「廃棄物」へと変転してきたのである。つまり、同じ一つの対象が、各時代の社会・文化的あるいは経済・技術的状況によって、あるときは「ごみ」になり、あるときは「めぐみ」となる。

時代を、暮らしを支えるしごと

 日映志賀(大津市)が創業した1955年は、我が国が戦後復興から昭和の高度経済成長へと向かうなかで、し尿や「廃棄物」への対応が大問題となった時期にあたる。以来同社は廃棄物処理業者として、し尿汲み取りに始まり、一般および産業廃棄物の収集運搬、仮設トイレをはじめ建設現場やイベント会場・災害現場などで必要とされる物品のレンタルへと事業を拡げ、我が国の経済的成長と生活向上のライフラインを陰で支える事業を展開してきた。

(写真)中村信滋氏:家業に就くにあた っ て我が国のし尿やごみ処理の歴史を調べてみて、自社の仕事のすばらしさを改めて感じたという。我が国にはSDGsよりもはるか以前に、持続可能な暮らしや資源循環型の生活システムを実現してきた経験がある。その歴史との連なりを感じながら「人や社会からこんなにありがとうと言ってもらえる仕事はない」と胸を張る。

時代はめぐり、新しい事業へ

 そして現在、平成を経て令和は、SDGsの時代。し尿や生ごみに対するまなざしは、「廃棄物(ごみ)」から「資源(めぐみ)」へと、ふたたび転回しつつある。この変化を受けて、2010年、同社は新たに生ごみたい肥化プラント「コンポストセンター」を建設し、リサイクル事業に乗り出した。

 コンポストセンター稼働後10年間は大津市からの委託を受けて、市内の旧志賀町エリア4000世帯あまりのごみを収集し、市民に無償で還元する事業を行っていた。しかし新たな焼却場が設置されたのに伴い、市からの委託は2020年に終了してしまった。そこで、せっかくの設備を活用して、時代にふさわしいビジネスにつなげるため、事業系の生ごみの受け入れができるようにプラントを増設、2022年に稼働させた。

 (写真)リサイクルたい肥「めぐりっ娘」

 新規事業の発展に向けて奔走するのが同社社長室室長の中村信滋氏だ。じつは「入社」2年目である。大学卒業後、大阪で住宅関連会社や組織開発コンサルタントに勤めていたが、現社長で父の隆氏が一時期体調を崩したのを機に、生まれ故郷に戻り、家業に就いた。

ごみの話は「きれいごと」では動かない

 信滋氏はさっそく営業に乗り出す。生鮮スーパーやホテルを回り、循環型社会実現に向けた食品リサイクルの必要性を説くものの、連戦連敗。みな「頭ではわかっている」のだが、結局「コストのことを考えると切り替えられない」のである。

 通常の廃棄物処理からたい肥化によるリサイクル・資源化に切り替えてもらうには費用の面で二段階の壁がある。例えば、あるスーパーと取引するとして、収集運搬業者とリサイクル処理業者がそれぞれ異なる場合、運搬業者としては点在する収集先を効率よく回れるルートを組んでいるのに、そのスーパー1社分だけリサイクル工場に回さなければならなくなる。別途運搬車を出すとなると、そこで費用が発生する。そこへさらにリサイクル費用が発生する。となると「ただでさえ切り詰めているのに、しかも、燃やせば安くで済むものを、なんでわざわざごみにカネ入れてやらなあかんねん。」とか、「分別するのにも人手がいるし、うちではとても無理」という反応になる。「きれいごと言われるけど、そんな体力うちにはないよ、と言われたこともあります」と信滋氏。

 「ごみ」を「めぐみ」にというのは美しい話だが、「きれいごと」だけでは現実は動かないというわけだ。

ごみをめぐる「連立方程式」に挑む

 それでもどうしたらリサイクルに切り替えてもらえるか信滋氏は考えた。例えば、社員教育の一環として取り組むことを提案したり、あるいは、たい肥の納入先リストを示し「御社がリサイクルに回して下さった生ごみは、たい肥になって子どもたちのこんな笑顔につながっていますよ!」と訴えてみた。結果は「ぜんぜん伝わりませんでした」。

 「こんなに響かないものか」と悩むなかで、ある大切なことに気づいた。

 「それまでは、うちに来てよ、来てよ、という感じで、運搬会社さんにも、そんなん言わんと持ってきてよ、と言っていたんですが、各社を回るなかで、彼らからすると、リサイクルするためにわが社に持ってきたら損になるんだ、ということが見えてきた。それからはどうやったら排出元にも利益が出て、運搬業者も、うちも喜んで、そして、できたたい肥が地域・社会に還元されていくか、ということをトータルで見て、全部がバランスよくなるのはどういう形かということを考えるようになったんです」。

 つまり「循環型社会の押し売り」ではなく、排出元、運搬業者、処理業者と地域・住民の「四方よし」のサービスを提案することが大事なのだと気が付いた。「そこに気が付いてからは楽しくなってきました。まあ、難しいことには変わりないんですが」。

 事業を通じて「環境」「社 会」「経 済」の「連 立方程式」を解く。それが難問であるほど、解にたどりついたときの喜びは、単に利益が上がったという以上の清々しさをともなうものになるだろう。

 たい肥を使ってくれる出口も増やさねばならない。「たい肥の活用法をレクチャーしたり、情報をSNSで共有したり、作物を持ち寄る市を開いたり、自社農園をつくったり。そうやって、ごみを通して人びとがつながるコミュニティを育むことが出来れば、わが社はただのごみ屋から、2段階ぐらい進化した会社になれると思います」。

きれいな滋賀を次世代に

 「滋賀にちなんだお名前ですか」と話を向けると「学年が進むにつれて琵琶湖から離れてゆく暮らし」を歩むなかで、ときには「ゲジゲジナンバー」などと揶揄されて「じつは滋賀県にコンプレックスを持っていた」と「告白」した信滋氏。「でも、滋賀に戻って以降、毎日琵琶湖を見ては感動しているんです。こんなきれいなところに住んでいたのに、今まで下を向いて生きていたのかなあ」と笑いつつ、「 いま、あらためて、きれい だな、と思った滋賀県を子どもの代まで残していくことに貢献していきたいと思います」と語った。

 

 

企業データ

本 社:〒520-0514 滋賀県大津市木戸1178
創 業:1955年4月(昭和30年)
設 立:1995年1月(平成7年)
従業員:36人
事業内容:廃棄物収集運搬、リサイクル処理

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