和の伝統素材を活かし現代の暮らしに合った製品を開発
環境の変化に合わせ伝統と革新をこれからも追求
株式会社 太陽/代表取締役社長 中川 寛之 氏
商売の厳しさを学んだサラリーマン時代
明治10年、長浜市出身の初代が表具師として彦根で創業した株式会社太陽は、2代目の時代になると、めずらしい材料を仕入れて表具師仲間に販売するようになり、やがて和紙の販売を専業とすることになりました。
中川寛之社長は5代目で、祖父の代には自社ブランドの製品づくりに取り組んで、全国に販売展開するようになり、昭和24年には法人化して「太陽紙業株式会社」が設立されました。高度経済成長時代に襖紙の需要が伸びると、高級襖紙のブランドメーカーとして、昭和45年には東京に営業所を開設するまでに成長しました。
大学卒業後、大阪の食品会社でサラリーマンを経験した中川社長。「当初から3年働いたら彦根に帰って家業を継ぐと決めていました。仕事への姿勢は厳しかったけれど、一代で会社を大きく成長させたアイデアマンの社長から、商いの心得を学ぶことができました」と当時を振り返ります。実際に経営者の立場になった今、サラリーマン時代によく社長から言われたことが、「あれはそういうことだったのか」と腑に落ちることが多々あるという中川社長。彦根に戻ってからは、倉庫の品出しから始め、一から商品について学び、その後は営業として得意先をまわるほか、商品開発にも取り組んできました。
表具業界の抱える構造的な課題のジレンマ
平成11年に同社に入った時、すでに和室離れや仕切らない間取りは流行っていたものの、ここまで急速に市場規模が縮小するとは思っていなかったと言う中川社長。手元で確認できる最も古いデータによると現在、平成8年度の4分の1程度にまで縮小しているとのこと。
各ブランドメーカーはオリジナルの襖を企画製造し、販売するにあたって見本帳を作成します。見本帳はおよそ5年で更新されますが、同社では職人の技を活かした高級品『朱雀』やホルムアルデヒドを抑えた『はるか』、防虫・防カビ、抗菌作用のある『近江』など付加価値を込めた商品を次々開発してきました。
一定間隔で新商品を送り出すことは競合他社との間で競争力を失わないために避けられないことですが、流通チャネルが販売代理店に限定されていることから、意欲的な商品開発をしても“売ってもらわなければ、売れない”というもどかしい実情があります。
そこで新たな試みとして、モダンな洋間でも映えるよう伝統的な山水画ではなく、比較的リーズナブルでパステルカラーを取り入れた『たいへい』をリリースしました。
同社ではもう1つ、生産者との信頼関係を大切にするために、高級品の発注と一定在庫を抱えていくという課題を抱えていました。一見すれば襖職人さんを守ることにつながるものの、住環境の変化やエンドユーザーのニーズと従来商品の間でズレが生じている中で、『たいへい』はユーザー目線を考慮した商品開発でした。
しかしながら、モダンな文様も結局、販売代理店に受け入れられず、このチャレンジもうまくいきませんでした。
よって、生活様式の変化による市場規模の縮小、見本帳投資の悪循環、限定的な流通チャネル、生産者を保護するための在庫調整、これらが複合的に作用しあい、ジレンマとなって同社を苦しめていました。
ただ、このジレンマは業界全体におよぶため、全国的に企業体力がそがれた同業他社の廃業によるシェアを残った企業が集約するという厳しい状態が続いていました。
ところがある日、事態が一変して、「この商品はまだあるか」と販売店から『たいへい』のオーダーが入りました。理由を尋ねると若い施主さんが家の趣と襖が合わないので何か別の商品提案をしてほしいと言ってきたとのことでした。「自社製品であるにも関わらず、見本帳のどこを探しても株式会社太陽の文字は見つかりませんが、ユーザー目線で開発した商品がようやく日の目を見ました」と中川社長。
『たいへい』の成功に同社はジレンマ解消の糸口を見い出します。次にリリースした『燦』は襖ではなく、和紙そのものです。同社は襖を取り扱っているため、これまでも大判和紙も販売してきましたが、『燦』の文様は伝統を尊重しつつも現代空間にもなじむ柄になっており、若い世代やアンテナの高い飲食店等に訴求することを狙いとしました。
また、従来のいかにも「襖紙」といった見本帳をおしゃれなカタログ本にすることで差別化し、エンドユーザーの手に届くようにしました。
こうした隣接商品の開発が、ゆくゆくは新たな販売チャネルの確立につながります。
アフターコロナの生活様式に合わせた商品開発
2020年3月、同社がリリースした和紙壁紙『燦WACROSS』は『燦』から派生したもので、伝統的な柄をアレンジして、デジタル技術を用いてグラフィック化しています。
かつて壁紙は読んで字のごとく“紙”でした。しかしながら現在、市場の98%はコスト面、耐久性に優れていることから塩化ビニール製となっています。ほぼ紙クロスは流通していませんが同社は、和紙の持つ風合いだけでなく調湿性や消臭性能なら紙クロスでも通用すると考え、異分野に参入しました。
化学繊維を混沙(こんしょう)することでシワになりにくく、クロス職人さんにも手軽に施工できると反応は上々です。
ところが商品発表からまもなく、コロナの影響から店舗設備投資が低調となり、ブランド立ち上げに影を落とします。本業の襖においても、コロナ感染拡大防止のため、窓を開ける、締め切らないといった新しい生活様式もマイナスに作用しました。
ですが、感染拡大防止には空間を間仕切ることも必要です。そこで同社は発想を転換させ、『燦WACROSS』をあしらった衝立を作成しました。木質性の衝立と比較して紙を使用しているため、女性1人でも持ち運びができるうえ、アクリルパーテーションにはない紙クロスならではの味わいやデザイン性があります。
衝立をオファーした飲食店からもオリジナリティが出せると高い評価が得られた結果、壁面にも『燦WACROSS』を施工することが決定しました。
アフターコロナの生活様式に合わせたことが、襖にとらわれない同社の新しい可能性を見い出しました。
現在、和紙壁紙は襖と違う販売アプローチができるため、エンドユーザーに直接響くような施工事例をSNSに掲載することや施工業者や小売業者、消費者から問い合わせに対応可能にしたWebシステムの開発を進めています。
商圏外にある業者との取引や消費者へのPRを実施することで新しい事業の柱にしていきたいと大きな期待を寄せています。
ジレンマのすべてを解消できませんが、持てるポテンシャルを活かした新しい企業体になるべく同社の奮闘は続きます。「ひょっとしたら10年後は、かつて襖を扱っていた和紙壁紙屋さんになっているかも」と中川社長は語ります。
手漉き和紙の魅力を発信し、その技術を後世に伝えるために
今後力を入れていきたいことの一つに、紙漉き職人の感覚をデータ化して残すということがあります。紙漉きの技を修得するのに10年かかるところを5年にすることで、技術の継承を後押しできるのではないかと考えています。
現在では、紙漉きもほとんど工業化できるようになっていますが、手漉きでしか出せない微妙なニュアンスをいかに残していくか、さらにこれを活かした製品づくりにどうつなげていくかが課題になります。特に越前和紙は襖紙に適した希少な大判和紙で、その技術を残していくために、生産者と一緒にいろいろなことにチャレンジしていくことが大切になると思っています。
「昔から当社で働いている社員さんと、今でも一緒に働けることを何よりうれしく思う」と語る中川社長は、従業員、生産者と思いを一つにしながら、紙に携わる事業を営むうえで、和紙の持つ文化的持続可能性をこれからも見つけていきたいと考えています。
企業データ
本社/〒522-0043 滋賀県彦根市小泉町34番地6
創業/明治10年
会社設立/昭和24年
従業員/20名
事業内容/襖紙、壁紙、紙製品卸売業
HP/https://www.f-taiyo.co.jp
企業ポリシー
- 襖、和紙といった日本の伝統文化を、現代の暮らしに取り入れる製品を開発する。
- 環境の変化に合わせ伝統と革新をこれからも追求する。
- 紙漉きの技術を後世に残すため、職人の感覚のデータ化などに取り組む。